大阪観光

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水掛不動(法善寺)

法善寺は、山号を「天龍山」といい、大阪市中央区難波にある、阿弥陀如来を本尊とする浄土宗の寺院で、特に「水掛不動」があることで有名となっています。

この寺院の界隈、道頓堀の南東にあたる、映画館や演芸場などがあつまる繁華街のことを、俗に「千日前」と呼んでいますが、実はこの呼び名は法善寺に由来しており、江戸時代から「千日回向」を行っていたことから「千日寺」という俗称が生まれ、その門前にあたるために「千日前」になったとする説が有力です。

異説もあるものの、江戸時代のはじめの寛永14年(1637年)、山城国宇治郡北山村にあったものが、現在の場所に寺地を得て移転し、琴雲という僧侶の開山によって建立されたといわれています。

江戸時代にはこの近くに刑場などがあったため、寛永年間のころから、その供養のために千日ごとを区切りとして念仏を唱える「千日回向」が行われていたとされ、他にもこの法善寺とともに、竹林寺という寺院が並び、同様に念仏供養をしていたといいます。なお、当時この地にあった竹林寺については、現在は大阪市内の天王寺区に移転してしまっています。

また、第二次世界大戦中の昭和20年3月の空襲によって、境内の建物はほぼ灰になってしまいましたが、不動尊だけはあとに残っていたといいます。

この法善寺の入り口にある「西向不動尊」が、通称で「水掛不動」と呼ばれているもので、戦前は単に不動尊に水をお供えするだけのものであったものが、あるときにひとりの女性が思い余って不動尊に水を掛けて祈願をしたことから、いつしか水を掛けるのが正式の供養のようになってしまっているそうです。火焔を背負った姿の不動明王に対して水を掛けるということから、この水掛不動に祈願をすると、心のなかにある悪い思いやわざわいを燃やし尽くしてくれる、あるいは水商売の繁盛をもたらしてくれるなどのご利益があるとされていて、苔むした像のまわりには、いつでも線香の煙が絶えません。

また、境内の北側にあたる細い路地は「法善寺横丁」とよばれており、かつては寺院の境内に含まれていたところです。ここは昭和初期に活躍した織田作之助の出世作にあたる小説「夫婦善哉」のなかに登場して、大阪の下町的な雰囲気を象徴する場所として有名になりました。現在でもタイトルのヒントになったぜんざい屋が門前にあるほか、割烹や小料理屋などが路地にひしめいており、これらの店舗により献灯された常夜灯が夜道を照らしています。

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